2012年10月19日金曜日

黄泉の国へ行き、また帰ってくる。


ゆうべの村椿菜文さんの詩につけた影絵と音楽の世界は、黄泉の国まで泳ぎ、そこで星と海に抱かれ、また帰ってくるというもので、同じように心が旅したぼくは終わってから家についてもなんだか興奮がさめないままで深くは眠れませんでした。

本番前に村椿さんとの話の中で、表現することは、黄泉の国へいったきりではなく、帰ってこなければ物語にはならない、、というようなことを話しました。わたしはこちらがわに家族があるから戻らなければいけないとも話されていて、ぼくは深くうなずいたのです。

いったままの表現の凄さも十分知ってはいるし、そこにはとてもマジカルなことも起こりやすいのですが、それだとどこか片手落ちになっている気がします。帰り道を用意することが表現者には必要で、他者に伝えるためにはシラフの状態でなければいけないと思います。

とは言っても、翌日ぼくの心はここではない何処かを泳いでいましたから、地に足つけるため、近所を散歩し、おしゃべりをし、ラーメンを食べて、やっとこさ落ち着きを取り戻したのです。

さて21日の日曜日は大阪中之島での水都で切り絵師となって仕事をしてまいります。天満橋からすぐの大川の中州の公園で昼から切っていますので遊びにいらしてくださいね。水都 Aozora CARNIVAL

2012年10月16日火曜日

空き地


用意された場所で遊ぶよりも、用意されていなかった場所から遊ぶことが好きです。遊園地で遊ぶよりも、空き地で遊ぶことが好きなのでしょう。その方が単純に燃えてしまうし、あとから思うと、空き地での方が実は用意されていたのかもと思うことが、うれしいのです


ここは果てかなと思い、そこにある扉を開けたら先にまた新し広大な世界が僕を待っていた、、そんなことを感じる日々です。不思議ですが、その新しい世界で出会う人や事は、過去に出会った人や事にどこか相通じるように思えます。

過去に経験したことで得た知恵が今活かされてきています。昔、難しくて解くのに時間がかかった問題も、今では時間がかからなくなりました。または、選ぶことにもそない時間を必要としないし、そうして素早く選んだものが正しいように思えます。

いろんなことをやってきたことが良かったのでしょう。一つのことを追求することもそれは素晴らしいことですが、ぼくはいろいろと経験することが合っていたのです。おかげで違うジャンルの人たちとも知りあえますし、そこで楽しめることができます。

似顔絵をうまくなるコツはとにかくいろんな顔を観察し、比較することです。一人の顔を描くよりも、何人かを同時に比較しながら描く方が断然似ます。ぼくはその数が非常に多いから、似顔絵がうまいのです。芸を磨くことは、目を養うことで、目を養うことは比較できるだけの情報を頭の引き出しにストックできることだと思います。

ただの空き地を選ぶのではないのです。ここは!と思う空き地を選ぶのです。そうして選んだ空き地であれば、絶対にいつかおもしろいことがぼくを待っています。見た目には空き地だからこそ、おもしろいことがむこうから転がってくるのです。