2012年12月18日火曜日

かがやき亭のクリスマス会


先日はいつもお世話になっている食堂「かがやき亭」のクリスマス会に影絵のパフォーマンスで参加しました。

かがやき亭は西荻窪にある食堂で、ここには毎日おじいさんやおばあさんがやってきて、絵手紙やら唄やらの教室が開かれています。食堂をしきる寺尾さんという女性は美人で、パワーのある人でみんなから慕われています。その寺尾さんから今度のクリスマス会ではかがやき亭の合唱団が人前で初めて歌を披露するから、是非影絵でお手伝いして欲しいとお願いをされたのです。

かがやき合唱団は総勢20人ほどの高齢者で、8割がた女性でしめらています。毎週ピアノの先生のレッスンをうけていて、クリスマスの持ち歌も数曲あるということで、その歌にあわせた物語と影絵、そこに合唱団の歌という構成で会をすすめましょうとなりました。

相方である「物語屋」の中川哲雄さんとぼくとで、雪とクリスマスをテーマにした物語を作り、それを影絵にし、さらに中川さんの語りと合わせたパフォーマンスを仕上げていきました。

会場は西荻窪にある井荻会館という年季の入った味のある建物。そこを寺尾さんやスタッフのみんなでクリスマスの飾り付けをしました。夕方5時を過ぎる頃、かがやき合唱団のみなさんがやってきました。頭にはサンタクロースの赤い帽子をかぶって席につきました。

6時からクリスマス会ははじまり、参加者でのプレゼント交換をしたり、おかしやおにぎりをいただき、いよいよ影絵ショーとのコラボです。「雪やこんこん」の歌で物語は始まります。クリスマスの日にあった小さな出会い、そして一年後、またクリスマスの日に再会する女の子と男の子、それを見守る犬、ラストは「今日の日はさようなら」を歌って終わりました。

7時になってお客さんがさらに増えました。その日は西荻観光のツアーに参加された20人以上の人がこのクリスマス会にサプライズで集まってきてくれました。会場はいっぱいになり、2本目のサンタクロースの影絵ショーがはじまりました。

ペチカという歌からはじまる2本目の物語は車椅子のおじいさんを主人公にした話です。クリスマスの日にやってきた3人?の謎の訪問者。それに連れまわされるおじいさんはやがて会いたかった3人の孫の顔を見ることになります、、サンタクロースとして。中盤に「まっかなお鼻のトナカイ」が歌われるとなんとスクリーンからは本当のサンタクロースが飛び出すという演出に会場を沸きます。踊るお客さんも出てさらに盛り上がります。物語のラスト、おじいさんは家に帰っていました。でもそこにはかわいい3人の孫がやってきたのです。「きよしこのよる」がかがやき合唱団によって歌われ、ショーは終わったのです。

クリスマス会に参加されたみなさん、いい顔されていました。お客さんからは大きな拍手を頂きました。そこには暖かい空気が流れていました。親戚が集まったような、それはとてもとても懐かしいものでした。アメリカではクリスマスは家族でお祝いするそうです。なんとなく、そんな空気感に包まれたかがやきのある時間だったのです。

2012年10月19日金曜日

黄泉の国へ行き、また帰ってくる。


ゆうべの村椿菜文さんの詩につけた影絵と音楽の世界は、黄泉の国まで泳ぎ、そこで星と海に抱かれ、また帰ってくるというもので、同じように心が旅したぼくは終わってから家についてもなんだか興奮がさめないままで深くは眠れませんでした。

本番前に村椿さんとの話の中で、表現することは、黄泉の国へいったきりではなく、帰ってこなければ物語にはならない、、というようなことを話しました。わたしはこちらがわに家族があるから戻らなければいけないとも話されていて、ぼくは深くうなずいたのです。

いったままの表現の凄さも十分知ってはいるし、そこにはとてもマジカルなことも起こりやすいのですが、それだとどこか片手落ちになっている気がします。帰り道を用意することが表現者には必要で、他者に伝えるためにはシラフの状態でなければいけないと思います。

とは言っても、翌日ぼくの心はここではない何処かを泳いでいましたから、地に足つけるため、近所を散歩し、おしゃべりをし、ラーメンを食べて、やっとこさ落ち着きを取り戻したのです。

さて21日の日曜日は大阪中之島での水都で切り絵師となって仕事をしてまいります。天満橋からすぐの大川の中州の公園で昼から切っていますので遊びにいらしてくださいね。水都 Aozora CARNIVAL

2012年10月16日火曜日

空き地


用意された場所で遊ぶよりも、用意されていなかった場所から遊ぶことが好きです。遊園地で遊ぶよりも、空き地で遊ぶことが好きなのでしょう。その方が単純に燃えてしまうし、あとから思うと、空き地での方が実は用意されていたのかもと思うことが、うれしいのです


ここは果てかなと思い、そこにある扉を開けたら先にまた新し広大な世界が僕を待っていた、、そんなことを感じる日々です。不思議ですが、その新しい世界で出会う人や事は、過去に出会った人や事にどこか相通じるように思えます。

過去に経験したことで得た知恵が今活かされてきています。昔、難しくて解くのに時間がかかった問題も、今では時間がかからなくなりました。または、選ぶことにもそない時間を必要としないし、そうして素早く選んだものが正しいように思えます。

いろんなことをやってきたことが良かったのでしょう。一つのことを追求することもそれは素晴らしいことですが、ぼくはいろいろと経験することが合っていたのです。おかげで違うジャンルの人たちとも知りあえますし、そこで楽しめることができます。

似顔絵をうまくなるコツはとにかくいろんな顔を観察し、比較することです。一人の顔を描くよりも、何人かを同時に比較しながら描く方が断然似ます。ぼくはその数が非常に多いから、似顔絵がうまいのです。芸を磨くことは、目を養うことで、目を養うことは比較できるだけの情報を頭の引き出しにストックできることだと思います。

ただの空き地を選ぶのではないのです。ここは!と思う空き地を選ぶのです。そうして選んだ空き地であれば、絶対にいつかおもしろいことがぼくを待っています。見た目には空き地だからこそ、おもしろいことがむこうから転がってくるのです。

2012年9月7日金曜日

青春18切符

数日前、友人の岡野くんが尼崎から青春18切符で電車を乗り継ぎ、ここ東京へやってきました。いっしょに酒を飲み、翌日の早朝から高尾山まで二人でハイキング。雨が降ってきた夕方からは2年ぶりとなる新曲を作りました。詩はまんま岡野くんの実体験を元にしています。メロディーは松田聖子の80年代のヒット曲のような、すぐに口ずさめるものとなりました。みなさんの旅のお供にこの「青春18切符」を聞いてもらえたら嬉しいです。

  青春18切符 (33 with Paul)

 また1歩、すすんだ気がします。どこへいくのかはわからないけど、、でもそれが旅というものでしょう。今頃、岡野くんは東海道線の静岡あたりの列車内で酒を飲みながら長く続く茶畑なんかを見ているかもしれません。 9月になっても外はまだ暑いけど、風は秋を連れてきているのを感じます。誰もが旅人になりたい季節です。

2012年8月30日木曜日

佐渡島へ

佐渡島へ 八月の終わり、島へ渡りました。友人宅に泊めてもらい、遅くまでお喋りしました。島で会う人も それぞれの生活がとても個性的で、面白かったです。自然にはかないませんし、そんな中でも自分の体を使って工夫した生活の営みを愛おしく感じました。どこを想い出しても絵になるなあと描いてみたのがこのスケッチです。

2012年8月23日木曜日

青空を突き抜けて。


3週間ほど前に発売されたいぬんこ画伯の「おかめ列車 」第二弾。
まさかのシリーズ化となり、あわてたのはいぬんこ本人ですが、さて今回の話はどうするか?
どこに行くのか?迷ったあげくのおかめちゃん 嫁にいくとなったのです。

今年になってから青空亭は各地のイベントに参加することが多くなり、そんななかでも3月にポポタムで開催した「おかめ列車祭り」を頂点に、いぬんこに求められているのは「目出度い感」だということを身をもって知ったのです。

この目出度い感を存分に出すことを今回の絵本のテーマに決め、そりゃ目出度いのなら結婚式はぴったしで、これなら1作目以上のインパクトを読者に与えれるはずだと、いぬんこは絵の製作を進めました。

絵本の世界でどれだけ目出度い感が表現できるか?そこに挑戦したのですが、それだけいぬんこは数少ない目出度い感をだせる絵師だと思います。そこはかなりの力を要するもので、全力を出し切ったいぬんこは毎度のことながら、出来上がった作品を直視できないようです。

その右手は異様なものを掴みます。あるときは自分の意思すらも言うことを聞かないその右手は、青空を突き抜け向こうの世界まで伸びて、とんでもないものを持ち帰ってくるのです。でも、突き抜けた先にはまた新しい世界があって、この旅はまだまだ続きそうです。

どうぞ「おかめ列車 嫁に行く」をご覧くださいね。

2012年7月10日火曜日

和と個

「小さなお米がいっぱい集まって大きなお餅になりました。
お餅は、さらに大きくなって空へとのぼっていきました。」

 農家の家倉さんから聞いたお餅のお話は、
とても原始的だけどぼくのなかにあるだろう古い夢にも思えます。

 農業が「和」であり、アートは「個」である。
すこし乱暴な言い方かもしれませんが、僕はこう感じています。 

自分が興味を持ち、好きなものを探り、それらを好きになる個性とは何か、自分とは何か、、深く自分を知るというアートが持つ本来の意味。

 和と、個がまったく正反対の行程の旅を続けながら、やがて同じ場所へと、、個が他を思いやり、他が個を思いやる、魂の世界。そこに気づく為にこの心と体はぼくを旅させるのでしょう。 

東は東 西は西 この2つは交わるべく 東は西 西は東 最後までそいとげよう。
 ジョンレノンとオノヨーコの歌、「きみはいつもここに」

 農業とアート、東と西、和と個。
それはそれは大きなお餅にぼくは喜んで交わる時がくるのです。

2012年7月6日金曜日

農家アート祭in江戸

浅草という街にぼくは不思議と縁があるようです。

 今「農家アート祭in江戸」というイベントが浅草国際通りにあるたい焼き屋「浪速家」が開催されていて、そこに作家として参加しています。

 この農家アート祭は、大阪ディグミーアウトカフェと滋賀県の若手農家集団コネファとの共同企画のイベントで、アーティストが農家とコミットして作品を作り発表しています。


今回の作家は、近年滋賀県の農村やコネファを撮り続ける写真家のMOTOKOさん、写真家の桑島薫さん、栃木県で農業をしながら写真を撮る田中潔さん、イラストレーターのdannyちゃん、そしてぼくとなっています。


 ぼくは「どじょうおじさん」という絵本を描いてみました。農家の家倉さんから聞いた話を元にして、1匹のどじょうが田んぼの異変に気づき主人公の農家に、以前のような生き物が住める田んぼへと変えて欲しいと願う、、お話しにしました。 この展示は、農業を通して今が見えてくる作品展になっています。作家はあたえられたテーマを鏡にして今の自分をどこかに現し、それが今の世も現してゆくものだと思います。そのなかでぼくが担当するのは「ほぐして、やわらかく見せる」大臣かな、と思っています。ちょいと難しいテーマを、かみくだき、ほぐし、やわらかくしたイメージのもの、、を作りたいと思います。

 命が宿る場所は柔らかく、おおらかで、人の力だけではコントロールできないものでしょう。人の力だけでどうにかしようとすると、だいたいのものがバランスを崩します。そこを自覚しながら、技術と自然とのバランスをどうとっていくのかが問われてきているように感じます。

 さて、今週末7、8日両日、浅草浪速家にて栃木県の野菜、滋賀県のお米などが集まるマルシェが開かれます。そして7日の午後7時から農家の田中さんと家倉さんのトークショー、そして8日は午後4時から編集者の畑中彰宏さんをお呼びして「農と祭」についてのトークショーで、ぼくは司会をさせてもらいます。参加費は1000円ですが、7日はおにぎり、8日はコラボたいやきもついています。是非遊びにいらしてくださいね。

2012年6月5日火曜日

みわぞう祭り


さしぶりに大所帯のバンドで唄わせてもらえることになります。こんなにたくさんのバンドメンバーの人数で舞台にあがるのは「ぶっきら兄弟」以来となります。

数ヶ月前にいぬんこの展覧会「おかめ列車祭り」のオープニングでお世話になった音楽家でちんどん楽器担当の「みわぞうさん」が所属します「ジンタらムータ」のライブにゲスト出演です。

みわぞう祭り」場所は吉祥寺「スターパインズカフェ」。6月10日はみわぞうさんの何回目かのお誕生日。
このめでたい場でボクは「おかめ列車音頭」を唄います。この唄は音楽家「サキタハヂメくん」が作曲してくれた作品です。ここ数年、ボクは音頭を作ることが多くなりました。やぱり音頭のリズムは誰もがいっしょになって楽しめるもので、ボクの遺伝子にもしっかりと刻まれているようです。 

今日はスタジオ練習でした。スタジオの空間って独特の空気がながれています。生音をじかに聞きながら唄うとテンションがあがります。楽器隊のみなさんのだす音に負けない力をだすことは、日常では出てこないものですから体が熱くなります。

もう17、8年前になるのでしょうか、、初めてライブで唄ったのが「モダンチョキチョキズ」の東京下北沢「シェルター」のステージでした。会場満杯のお客様の前でド素人のボクは当時自分で制作していた蜂の着ぐるみを着て「サルビアの花」のカバーとモダチョキの唄「ガイコツ」を唄わせてもらいました。

そうそうたるメンバーに演奏してもらっての初ステージはガチガチの緊張で体が震えていました。あんなに緊張したのはそれ以降はないように思えます。それも出番がライブラストの2曲だったはず、、待っている間に何度も「帰りたい、、」といぬんこに弱音を吐いていました。

あっという間の出来事だったので、記憶がとんでいてなにをやったのか?ほとんど憶えていません。宇宙人に連れられて記憶を消去されたようにも思えるほどです。あれ?もしかすると宇宙船ではなく「おかめ列車」に乗せられていたのかもしれません。

ガタゴトガタゴト、、
見えない線路はどこまでも、ボクを連れてゆくのでしょう。



2012年5月16日水曜日

イチローじゃなくても


天才には誰もが一度は憧れるもの。

先日は三鷹にありますジブリ美術館を見学にいきましたが、「こりゃ~すごいや、やはり天才にはかなわない」と宮崎さんの仕事を拝見させてもらいました。30歳後半にはあの名作「風の谷のナウシカ」を創っていたのですから、その才能は恐ろしいものです。

思い返すとボクの30代は音楽漬けの日々でした。楽器もひけない、ボイス訓練もろくにうけていない、そんなアマチュアのボクによく唄わせてくれたもんだなあと、当時付き合ってくれていた音楽家のみなさまには感謝しています。

大阪という土壌は「盛り上がればええやんパワー」で充満にしていますから、ノリと笑いが大切です。ボクの音楽活動では「33」という二人組のユニットと「ぶっきら兄弟」という大所帯バンドがノリと笑いを前面にだしていました。

「33」ではオカノアキラ氏の天才的な笑いのセンスと音楽知識の豊富さが武器でしたし、「ぶっきら兄弟」は数十人のメンバー個々のぶっとんだキャラクターに、ノリとパワーで押し切る音楽が売りでした。そのどちらともにライブはお祭りでした。お祭りを盛りあげるのにボクは毎回必死で、ときおり頭の中のネジが数十本抜けたな、と思うこともありました。

「天才だったらなあ~」ともよく思っていました。声がものすごくイイとか、リズム感が抜群だとか、、生まれ持った天性の才能、、それが欲しかった。それがないからもう力技で、人のやらないようなことをやってきたのだと思っていたのです。

でも今思うと、そういうパワーこそがボクをなんとも愉快な存在へと成長させてくれました。唄い、話し、切絵やパフォーマンスをしたり、そのライブという場で、お客さんの前で、ボクの芸は形になっていきました。33に「イチローじゃなくても」という歌があります。40歳になって創りました。

おれはなにかをやるために生まれてきたのだろうか?
おれの使命ってなんやろかって?
イチローじゃくても、天才じゃなくても、、

この姿で、この歌を唄う、そんな自分の存在がおもろく思えてきたのです。

 



2012年4月27日金曜日

十二日間

浅草の奥山風景では朝の10時から店を開けますので、ボクは西荻の家を朝8時半に出ます。満員電車に揺られ9時半には浅草に着きます。コンビニでお茶とおにぎり、たまに朝マックを買って浅草寺に到着します。

屋台の扉をあけ、掃除したらお店のはじまりです。ここは日本有数の観光地ですから、いろんな国の人が通りを歩いています。でも新宿や渋谷のような息苦しさはなくどこかのんびりとしています。いい顔したおっさん、おばちゃんも多くて、大阪天六の町にも似てるように思えます。

屋台の前には有名人を切り抜いた似顔絵の作品を展示していますので、気がついた人はビックリされます。お客さんから頼まれたら、やっとボクの仕事です。鋏を動かしていると人が足を止めてボクの芸を見ています。この5分から10分の間にお客さんがボクの手先をじっと見ているのは、なんとも緊張しますが、この切羽詰まった時間がボクに力を与えてくれます。出来上がるとみな覗き込んで、作品を見たら拍手なんかもいただきますし「名人!」やら「アメイジング(素晴らしいって意味だよね?)!」なんてうれしいお言葉をかけてもらいます。

12日間で延べ300人のお顔を切らせてもらいました。ある男性は「今から亡くなったおやじの法事で田舎にいくんだ。この切絵は良いおみやげになったよ」と言ってもらいました。ある女性は「写真の人も切れるのですか?」と尋ねられ見せてくれたのがおばあちゃんの顔でした。「1年前に亡くなって、、かわいい顔でしょ。切ってくれる?」

300人のそれぞれの方に物語があります。ボクの店の前に通った時、ふっと「切絵してもらお」と思う感じ、、思ってもいない出会いに反応をしてしまう、、その感じ。日常から少しだけズレた瞬間、、人はいろんなことを思い出すのでしょう。

昼は屋台で天丼を食べたり、暇になれば隣の職人さんや占い師さんと話したり、、夕方5時まで働きます。この時間は陽はまだ落ちていませんので、店をかたずけてから浅草を散歩します。近くの飲み屋通りに人はまばらで、呼び込みの女性が声をかけています。ある時、古い喫茶店でコーヒーを飲んで心を落ち着けていました。懐かしい雰囲気の店内を見ていて「ボクは幼い頃、喫茶店の息子だった」ことを思い出したりしました。

浅草の町は旅人ばかり、、ボクもいっしょになって町を彷徨っていた12日間だったのです。

2012年4月12日木曜日

百歳

現在浅草での「奥山風景」というお祭りに参加させてもらっています。江戸の長屋を思わせる小屋が立ち並び、その中の「百歳屋(ももとせや)」と名付けられている場所で切り絵や紙もの雑貨を販売しています。晴れた日にはたくさんの人が来場して賑わいます。 


通りを挟んだところにはてんぷら屋さんが出店をして、お昼時にはたくさんの人が縁台に座って食事をしているのが見えますが、今日は雨でお客さんもまばらです。暇だったので雨と天ぷら屋をぼ~っと眺めていました。二百年前の江戸の町、こんな日にはぼ~っと雨を眺めていた人も今よりはたくさんいただろうと思います。 

東京にきてから上の世代の人と知り合う機会が増えてきました。関西では横のつながりがほとんどでしたから余計そう感じるのでしょう。この「百歳屋」という名前の由来は「親子3代が伝承していく職人の知恵と技、その知恵と技から創られたものは百年間は使える」という精神からつけられました。 

浅草は有名な観光地ですから外国の人も多く、昨日は外国人家族5人まとめて切らせてもらいました。ハサミさばきを魔法でも見るかのようにえらく驚いてたくさん写真を撮っていました。親子の切り絵をするのはおもしろいです。血のつながりは嘘をつかないやと思います。過去から未来へ…技も知恵も血も流れていきます。 

「チャンキーさんの切り絵芸は誰かから教わったものではないんでしょ?」 

隣に座っているさしもの職人の渡辺さんからこう尋ねられました。直接の師匠がいないのは確かなのですが、でもなんらかの力、それは師匠とかの存在ではないけれど、ある日上のほうから降りてきたように感じているのです。それはボクを見守ってくれている存在からだと思っています。 

まあ~まあ~とりあえず、百年やら二百年やら、そんな時間軸の川の岸辺をふらり散歩してみようかなと思っています。

2012年4月7日土曜日

似るは楽し


昨日は家で芸能人の顔を切っていました。 

来週の9日から14日、21日から26日の日程で浅草の浅草寺のイベント「奥山風景」にいぬんこの紙もの雑貨と共にボクは切り似顔絵で参加のため、お客さんへのアピール用に有名人を切ってみたわけですが、苦戦をしたのが安室奈美恵ちゃん。やはり女性の似顔絵というのは難しいもの。さらに芸能人の写真を見ながらですから、なかなか満足いくものができませんでした。アムロちゃんなんて30枚ぐらい失敗をしました。 

できるだけ切らずして似せることができればイイなあと思いますが、まだまだそういう境地ではありませんし、お客さんに細かい処理をするとありがたがられるので、技術をみせびらかしたいという欲が消えません。それでも7、8時間ほど切り続けていたりしますので、ボクは似顔絵を切ることが好きなのでしょう。 

以前から思っていたことで「似てる」と喜ぶお客さんを見てボクも楽しくなるのですが、なぜ「似てること」はおもしろいのでしょう。 

技術向上の為に、駅ですれちがう人の顔を2秒ぐらいで頭の中に描いてみる訓練をやります。これは目の力をつけるためですが、慣れてくるとホントに2秒ぐらいで描けるような気分になるから不思議です。人の顔ってパーツの特徴ではなく、たちあらわれる何かを掴まえることです。その何かを掴まえるために、個々の違いを見るのです。 

似ることは「違い」が見えるということで、個性を知ることです。似ることがおもしろいということは、個性はおもしろいということです。個性は何も「特別」である必要などありません。生まれついてみな違うし、違う生き方をし、どんな人も個性的でおもしろいのです。 

たくさんの人が存在することで、個性はその数だけある。おもしろいことは星の数ほどあって消えることはありません。だから楽しく生きてゆけるのです。 



奥山風景 案内図 こちらの 百歳屋とゆうところです。

2012年4月4日水曜日

ひとつ屋根の下で



ボクが1年前から住んでいるここ西荻マンションは、3階建てに住民9家族が住んでいます。マンションといっても築40年以上と年季がはいっていますが、小さな庭には桜の樹があったり、駅から徒歩7分と立地条件も良いとこです。初めて見た時に「ここなら住めるかな」と思い、契約したことをおぼえています。

ボクが2階の部屋を借りたその少しあと、一階にはカップルが入居したようでした。カップルの男性が音楽家で、ボクらの寝室の下をスタジオにして音をかなでていました。去年の夏ごろから少し話しをするようになって、このごろはお互い部屋を行き来する仲になっています。彼のあだ名は「ポール」。ポールスミスが好きだったことからそのニックネームとなったようです。

「大家さんとバンドを組んじゃった」

西荻マンションの大家さんは鍼灸院を経営しながら、なにやら屋上にソーラーシステムを設置し電気を作っていることを教えてくれたのがポールでした。他にソーラークッカーという手づくりの装置で太陽熱を利用してお湯を沸かし、そのお湯でコーヒーを飲んでいる、、これは素晴らしいとボクもそのモーニングコーヒー仲間に入れてもらいました。

平日の昼間に男3人集まって、お湯を沸かし、コーヒーを飲んだり、どんべえを食べたり、焼き芋を焼いたり(焼くのに1時間かかりますが)そんな平和な景色を是非唄にのこしてみようと3人で制作しました。

なんともゆるい世界ではありますが、同じ屋根の下で暮らしもの同士で唄を作るなんて珍しいかと思います。ユニット名はわかりやすく「ひとつ屋根の下」。かのビートルズはおおやけの場での最後の演奏がロンドンのビル屋上でした。そしてボクらは西荻の屋上から始めたいと思います。

「ひとつ屋根の上で大家さんといっしょに」

世代もバラバラな3人がひとつ屋根の下で暮らし、屋根の上で唄う。ちょっとばかしおかしいけど、案外、これからの世には必要になってくる気がするんだなあ。あてもなく、意味も求めず、ここで生まれるもの。そうやって「楽しむ」時間がきっと大事になってくると思うのです。では聞いてください。

ひとつ屋根の下のデビュー曲「ひとつ屋根の上から」。





2012年4月3日火曜日

今はこの道を

夜になって用水路の脇をかるくランニングしました。下を覗き込むと水草が水の流れにそってゆらゆらして、そばで鴨が2羽並んでおよいでいました。 


西荻の夜道を走りながら、もしこの道のむこうが大阪城になっていてもボクはそない驚きもせず、以前のように城を一周し、桜の樹やビルの灯りを眺めて走っていると思います。 

根の張っていない浮き草のような暮らしだからでしょうか。西荻に浅草、渋谷の雑踏を歩いていても、大阪の中崎町や谷町六丁目や新町を歩いていても「今はこの道の上を歩いているだけ」と思うのです。 

「おかめ列車の旅」展示の最終日。外は大雨に強風、春の大嵐でした。夜、搬出して帰宅するといぬんこは倒れるように寝てしまいました。翌日もなんだかボーッと過ごしていました。イベント後はいつも頭のネジが数本ぬけていて、その抜けた穴からすうすうと空気がもれているような気持ちになります。 

翌日、部屋は戻ってきた展示物でいっぱいになりました。昨日までの熱がそこにはのこっています。荷物をほどいて少し整理しました。大きなタコのぬいぐるみが半眼でキッチンのテーブルにもたれています。まだ自分の居場所がわかっていないのか落ち着きがありません。 

ゆうべは近くの銭湯で熱い湯につかっておりました。お風呂からあがり待ち合い室でいぬんこが「さっき地震があったでしょ」と言うのですが、ボクは全く気がつきませんでした。地震のことに敏感になっているいぬんこを見ていると、自分が鈍感なことに気付かされます。いつ地震がおきてもおかしくない…確かにいろいろと聞かされるので頭では理解しているように思うのですが、どうも肌には感じてこないのです。 

ボクがフワフワしている時、どこかではじっと動かないで重しになっているものがあるのでしょう。でなければ世界は不安定ですもんね。命あるものはバラバラに歩みながら、今という同じ時を過ごしている…そう思うとボクはアホみたく安心して眠れるのです。

2012年3月24日土曜日

胃袋

20日のいぬんこ「おかめ列車の旅」イベントは大盛況でした。 

お客さんには「絵本を読んできました」という親子づれの方も多く、お昼2時の部では「ここは託児所?」と感じるぐらいボクは子供たちに囲まれていました。「おかめ列車音頭」を当日だけの楽団で1曲歌わせてもらいました。演奏者のみなさんには大変お世話になりました。最後はみんなで振付けして盛大にイベントを終えることができました。 

会場内はド派手な物でギッシリ。この世界に合うものならなんでも飲み込むというおかめ列車の強靭な胃袋には驚いてしまいますが、この胃袋こそがおかめ列車の魅力だと思います。カオスになった胃袋の世界で出会った人や物、ここでしか見ることがない出逢いがそこら中にあって、ボクらをワクワクさせているのです。 

いぬんこは「表現において削ること、編集は大切なのことだけど、例えば人類の中で編集?なんてすれば、私は削られていく側だからそう簡単に削ることができない」といった意味のことを話します。 

残されたものが自分の理想であって、、削られたものがゴミだ、、っていう簡単なものではないはずです。残されたものは美しいかもしれませんが、削られたものにだって豊かさがあるでしょうし、それでもなお削らなければ、捨てなければならない、、という心の葛藤が残されたものに深みを与えるのだと思います。 

おかめ列車に飲み込まれたものたちは、胃袋の中で新たな命を与えられるという順番を待っているようにも思えてきて、なんだか愛おしく感じたりするのです。 
さて、ボクの方は今週いっぱい大阪新町にある「月夜と少年」にて、過去に描いた作品が展示され販売もしてくれているコレクション展が開催中です。ボク以外にもたくさんの作家の作品が展示販売されているようです。ここ数年間、「月夜と少年」のオーナーである吉田夫妻には随分とお世話になってきました。ボクよりも一回り以上年齢の違う若い二人でから教わることは色々ありました。作品をじっくりと見たり、読み解くだけの力と忍耐を持つ吉田夫妻はボクの作品の良き理解者だと感じています。 

最終日である24日土曜日の午後早い時間にはボクも会場に遊びにいく予定です。今週土曜日中に会場に足を運んでくれたらうれしいです。 

http://mumble-mumble.com/tsukiyo/

2012年3月18日日曜日

おかめ列車の旅へ

ここ数日間は巨大キャンパスに絵を描いておりまして、その絵は銭湯の壁画のように描いたもので、あさっての20日から目白のギャラリー「ポポタム」で開かれる「おかめ列車の旅」に展示されます。 

ひさしぶりの大きなサイズとこれまたひさしぶりにアクリル絵具をこってりと塗る技法だったものですから、なかなかコツが掴めず、ちょっと苦戦しましたが、まあ~なんとか仕上げることができました。 

今回の展示はいぬんこが去年にだした絵本「おかめ列車」の世界に合う作家さんにご協力してもらい、さらにこの世界感をひろげてゆこうという企画展となっています。 

ボクは絵以外にも「おかめ列車音頭」という唄をサキタハヂメくんと制作しました。この唄を聞けば、なんだかすでにアニメ化されたかのような錯覚までおこしてしまう、それは見事な主題歌になっています。ボクが歌詞を書いてサキタくんにメールして数時間後には曲と伴奏と仮の唄入れまでできていたという彼の仕事の早さには驚かされました。 

そして、いぬんこはここ数ヶ月の過密なスケジュールの中(数日前には新刊の絵本「ここにいるよ ざしきわらし」が発売されたばかり)でもなんとか展示用の新作おかめ列車の絵を描くことができました。さらに楽しみなのは参加してくれた作家のみなさんがどんな作品を発表してくれるのか、、期待が膨らみます。 


この「おかめ列車」という不可思議なキャラクターは、身近にいるボクからするといぬんこの分身だということがわかります。 

列車という不自由な体を身につけ走り続けてしまう「おかめちゃん」の姿と、心とは裏腹に右手は魂を削ってまでも絵を描いてしまう「どうにもとまらな~い!」いぬんこの姿とがボクにはダブって見えてくるのです。乗客であるボクはその無茶な走りっぷりに、ときに驚き、ときに心配になり、腹立たしくもあり、おかしくもあり、たまに感動さえもするのです。 

そりゃ~やってみなけりゃわからない。 
走ってみなけりゃ~見えてこない。 
大きな波を乗り越えて、何度も何度も乗り越えて 
でもやっぱり、たまにはビビったりして 
それでもやっぱり走ってしまうんだ。 
いつかは辿りつけるかもしれない、、あの駅にむかって 

これは宿命でしょう。いつ終着駅に辿り着くことができるのか?それは神のみぞ知ることでしょうから、ボクはこももちゃんやおにいちゃん、たこさんやたぬきさんと混じって、この旅を楽しんでまいりたいと思います。 

どうぞみなさんもこの旅に参加してみませんか。20日は午後2時からと、午後6時からの各30分程度ですがライブをします。無料ですので是非遊びにいらしてくださいね。

2012年3月9日金曜日

まれびと

ゆうべ、友人のライブを見た帰りの道でのこと。 

走っていますと目の前になにや大きな物体が見えたので、おそるおそる近寄るとそれは車にひかれた大きなひきガエルの死骸でした。またしばらく走っているとこれまた大きなヒキガエルの死骸、、さらに進むとそこにもひきガエルの死骸、、昨日は気温が上昇して気をよくしたカエルたちが土からでてきたのでしょう。長い冬眠後の目覚めにまさかこんな運命が待ち受けているとは思いもしなかったでしょうけれど…、 

未来はなにが待ち受けているのかわからない。 

先日の大阪「バイエル」でのトークショーで、小説家の西田俊也さんが話していました。

困難が突然襲い掛かってくると、自分が夢の中にでも彷徨っているような気分になります。それら困難な課題は個々の経験値や年齢に比例はしますが、困難のレベルは他人と比較するようなものではありません。でもいつかはみなに平等にやってくるのは確かなことです。 

それはある日、突然に、春に目覚めたカエルたちの事故のように。 


大阪での3日間、たくさんの友人に会うことができました。そしてボクの誕生日ということで、プレゼントやお祝いの言葉をいっぱい貰えました。45歳にもなってこうしてお祝いをしてもらって照れくさいものですが、すごく感謝しています。ありがとうございます。 

かたや、幸せな瞬間も突然にやってきます。お祝いされると驚いて、照れくさくてアタフタしますが、いろんな人に囲まれている、その実感であたたかい気持ちになります。 

アメリカ村の「ディグミーアウトカフェ」での農家アートイベントには、香川県から両親がボクのお祝いにかけつけてくれました。頼んでいた「お遍路さん」の衣装を持ってきてもらい、お遍路さんのかっこになってイベント最後の「近江ええぞ節」ではお客さんの前で踊らせてもらいました。 

その姿を見ていた写真家のモトコさんが「あれは『まれびと』だね。」と言われたので、『まれびと』の意味を調べてみると「いつもは村には住んでいないが、祭りごとには姿を現せる。他界から来訪する霊的なもの」を、いうそうです。まれびと…。フーテンの寅さんのような人かなあ?? 

自分のことをアーティストとか芸術家とか言われると、なんだか違和感がありますが、「まれびと」なら落ち付くような気がします。そんな感じがいいです。なんやわからん存在だけれども、フラりと現われて、ちょっとおもろいことやって、またどこかへ行く…、まれびと。 

でも、ホントはみんな『まれびと』なのかも知れません。あの世からたくさんの経験をするためにこの世にやってきた…、まれびとなのです。 

2012年1月30日月曜日

まめまめまつり

井荻区民センターにて まめまめまつり と題して、パントマイムの山本さくらさん、おはなしの中川哲雄さん、と三味線 西尾健さんとで
影絵とパントマイムのおはなしショーをします。無料です。

携帯電話に甲高い声で「チャンキー!わたしみお」と小さな女子?から連絡がきました。友達の娘も「みお」という名前だから、その子からだと思い、でも声が違うし、テンションが高いし、今6歳だというから、なんだかわからなくなってきた時、その子が「じゃ~おばあちゃんとかわる」と、おばあちゃんに変わってみると、去年の大阪谷町6丁目の子どもイベントで何度かお話をした方で、やっとその女の子の顔もうかんできました。 

「この子がチャンキーさんに会いたいって言うのよ。で、毎朝シャキーンを見てチャンキーさんの声が聴こえてくるかもと早起きして見てるの。」と話してくれました。たまに声ぐらいしか出ていないボクをさがすために毎朝起きてくれているなんて、、なんともうれしいものです。 

そのおばあちゃんも元気な方で、70歳はこえているぐらいですが、いろいろとお仕事もされていたり、ナンバのほうにかわったアパートがあるよ、っていう情報なんかも以前に話したことがあります。 

電話を切って、ちょっと元気がわいてきました。その電話は心と体がチグハグな今のボクに、生きるための大切なメッセージをおくってくれたように思います。 

さっそくボクも色紙に猫の絵とメッセージを描いて、その女の子に送ったのです。

2012年1月20日金曜日


東京は雪が降っています。

朝、起きると妻が「雪が降っている!」と盛り上がっていました。北国の人が青空に憧れるように、西の国で暮らしていたボクらは雪が降るとワクワくするのです。

こんな日はひとりひとりが、いろんな場所でいろんなことを思いだすことでしょう。

1年前の冬。ボクは滋賀県の湖北で暮らす農家を訪問させてもらいました。雪が降る中、農家のみなさんの仕事場へ案内してもらいながらボクは絵を描いていました。雪の中で立つ樹々を見て感じるものと同じ、人がポツンと立つことで立ち上がる空気、、それを描くことに夢中になったのです。

それ、、とは「孤独」です。

人の顔を描いたり、切ったりしてなにを表現したいのですか?と聞かれたらボクは「孤独」を表現したいと答えるでしょう。
孤独は少しばかり奥にある、、心です。

外は雪です。このまま積もるのかなあ。
今日は雪の中で立つ小さな芽を心のなかに映して見ようと思います。 

2012年1月19日木曜日

コネファ


滋賀の農家さん集団「コネファ」の絵を描いてます。
「konefa」とは、滋賀県湖北地域で農業を営む若手農家組織。
“農と人をつなぐ”をモットーに、マルシェやイベントなどを通じて
農業の魅力を発信しています。http://konefa.exblog.jp/

2012年1月17日火曜日

オフィス☆キャラ診断

facebookのDigital Youthプロジェクトキャペーンサイトの
オフィス☆キャラ診断」イラストを担当しています。

「オフィス★キャラ診断」公開中!

2012年1月16日月曜日

仕事ハッケン伝

NHK教育TV番組「仕事ハッケン伝」お正月特番の
イラストを15枚程担当させてもらいました。